2年前の冬の日、帰宅中に物思いにふけってしまったおっさんは、いつのまにか知らない路地に迷い込んでしまった。
そこで見つけた、「Piano Bar 音呼」の看板に吸い寄せられるように、おっさんは店の扉に手をかけていた。
目の前には異様な光景が広がっていた。
な、…ネコが酒を飲んでる…?
おっさんは呆気に取られて、入口に立ち尽くしていた。
ネコたちの方も、突然の珍客に戸惑っているようだった。
ど、ど、どうしよう!?逃げた方がいいかな!?
うーん、見た感じ、人畜無害そうなやつだけどな…。
そうね。とりあえず急に襲ってきそうな感じじゃないわね。
同感♪
なあ、クロ。なんで人なんかが入ってきたんだ?こんなことはじめてだぞ?
……(ソウ言エバ、看板、仕舞イ忘レタ)
おっさんは外に出ていた看板を思い出した。
なるほど、「音呼」は「ネコ」と読むのが正解らしい。
それにしても、酷い当字だ。
昭和のスナックかよ…、いや、そんなことより…
ネコが喋ったり、お酒を飲んだりしている。
そんな常軌を逸した光景も気にはなるが、おっさんの視線はあるものに釘付けになっていた。
ピアノだ…
店の奥に鎮座したアップライトピアノ。
鍵盤の蓋は閉じられていて、そこには埃が積もっていた。
長いこと誰も弾いていないことは一目でわかった。
謎だらけのピアノバーに置かれた、弾き手不在のアップライトピアノ…
これは単なる偶然なのか、それとも運命なのか…?
あの!その、ピアノ…、弾いてもいいですか?
へぇ、おっさん、ピアノ弾けるのか
まあ、少しは…
いいんじゃないの、クロさん。どうせ誰も弾いてないし。
…コクッ(ウン、イイヨ)
ありがとう!!
おっさんはピアノの前まで進むと、椅子に座り、鍵盤の蓋をゆっくり開けた。
規則正しく並んだ、白鍵と黒鍵。
そう、いつだって鍵盤を前にすると、ワクワクする。
ひとつ大きく息を吸って、吐き出して、目を閉じた。
心臓の鼓動が自然と早くなるのを感じる。
ゆっくり目を開けて、もういちど鍵盤を眺めてから、ゆっくりと鍵盤に指を置いた。
そして、最近覚えたばかりの曲を弾き始めた。
おお、おじさん、上手だね!
思ったよりは、ちゃんと弾けるじゃん!
でも、なんかめっちゃ手が震えてるぞww
指摘のとおり、手も身体も震えていた。
まだ、人前で弾くのに全然慣れていないのだ。
いくら相手がネコとは言え、やはり極度に緊張した。
でもそれ以上に、誰かに演奏を聴いてもらう高揚感がたまらなく心地よかった。
ああ、やっぱりピアノっていいなぁ…
独り言のようにつぶやくと、おっさんは少年のようにキラキラした目で、店主の黒猫に訪ねた?
あの、このピアノ誰も弾かないなら、また弾きに来てもいいですか?
…(…)
黒猫は明らかに困ったような表情を浮かべた。
???
ああ…、クロ、俺から説明するな
…コクっ(オネガイ)
おっさん、その悪いんだけどさ…
そこでトラ柄のネコは少しバツが悪そうに間を置いた。
実はこの店、もうすぐなくなっちまうんだ…。
※この物語は半分以上フィクションです。