おっさんのピアノ雑記②

前回のあらすじ

2年前の冬の日、帰宅中に物思いにふけってしまったおっさんは、いつのまにか知らない路地に迷い込んでしまった。

 

そこで見つけた、「Piano Bar 音呼」の看板に吸い寄せられるように、おっさんは店の扉に手をかけていた。

 

目の前には異様な光景が広がっていた。

 

な、…ネコが酒を飲んでる…?

 

おっさんは呆気に取られて、入口に立ち尽くしていた。

 

ネコたちの方も、突然の珍客に戸惑っているようだった。

 

ど、ど、どうしよう!?逃げた方がいいかな!?

 

うーん、見た感じ、人畜無害そうなやつだけどな…。

 

そうね。とりあえず急に襲ってきそうな感じじゃないわね。

 

同感♪

 

なあ、クロ。なんで人なんかが入ってきたんだ?こんなことはじめてだぞ?

 

……(ソウ言エバ、看板、仕舞イ忘レタ)

 

おっさんは外に出ていた看板を思い出した。

 

なるほど、「音呼」は「ネコ」と読むのが正解らしい。

 

それにしても、酷い当字だ。

 

昭和のスナックかよ…、いや、そんなことより…

 

ネコが喋ったり、お酒を飲んだりしている。

 

そんな常軌を逸した光景も気にはなるが、おっさんの視線はあるものに釘付けになっていた。

ピアノだ…

 

店の奥に鎮座したアップライトピアノ

 

鍵盤の蓋は閉じられていて、そこには埃が積もっていた。

 

長いこと誰も弾いていないことは一目でわかった。

 

謎だらけのピアノバーに置かれた、弾き手不在のアップライトピアノ

 

これは単なる偶然なのか、それとも運命なのか…?

 

あの!その、ピアノ…、弾いてもいいですか?

 

へぇ、おっさん、ピアノ弾けるのか

 

まあ、少しは…

 

いいんじゃないの、クロさん。どうせ誰も弾いてないし。

 

…コクッ(ウン、イイヨ)

 

ありがとう!!

 

おっさんはピアノの前まで進むと、椅子に座り、鍵盤の蓋をゆっくり開けた。

 

規則正しく並んだ、白鍵と黒鍵。

 

そう、いつだって鍵盤を前にすると、ワクワクする。

 

ひとつ大きく息を吸って、吐き出して、目を閉じた。

 

心臓の鼓動が自然と早くなるのを感じる。

 

ゆっくり目を開けて、もういちど鍵盤を眺めてから、ゆっくりと鍵盤に指を置いた。

 

そして、最近覚えたばかりの曲を弾き始めた。

 

nana-music.com

 

おお、おじさん、上手だね!

 

思ったよりは、ちゃんと弾けるじゃん!

 

でも、なんかめっちゃ手が震えてるぞww

 

指摘のとおり、手も身体も震えていた。

 

まだ、人前で弾くのに全然慣れていないのだ。

 

いくら相手がネコとは言え、やはり極度に緊張した。

 

でもそれ以上に、誰かに演奏を聴いてもらう高揚感がたまらなく心地よかった。

 

ああ、やっぱりピアノっていいなぁ…

 

独り言のようにつぶやくと、おっさんは少年のようにキラキラした目で、店主の黒猫に訪ねた?

 

あの、このピアノ誰も弾かないなら、また弾きに来てもいいですか?

 

…(…)

 

黒猫は明らかに困ったような表情を浮かべた。

 

???

 

ああ…、クロ、俺から説明するな

 

…コクっ(オネガイ)

 

おっさん、その悪いんだけどさ…

 

そこでトラ柄のネコは少しバツが悪そうに間を置いた。

 

実はこの店、もうすぐなくなっちまうんだ…。

 

※この物語は半分以上フィクションです。

おっさんのピアノ雑記①

あれはもう2年前の冬の話。

 

街はクリスマスムードだけど、そのおっさんは浮かない顔で、最寄り駅から自宅に向かって歩いていた。

 

年の頃は40歳手前くらい。

 

仕事着に身を包んだ、どこにでもいる冴えないおっさんだ。

 

なにか物思いに耽っているのか、どこか上の空で歩いている。

 

そんなんだから、いつも曲がる道をだいぶ通り過ぎたことに気づかず、しばらく歩いたところで、はたと気がついたようだ。

 

あれ、いけね。こんなところまで来ちゃった。まあ、でもここを曲がれば家に帰れるか。

 

おっさんは独りごちると、いつもは通らない路地の方へ曲がった。

(※)写真はイメージです

何をそんなに考え込んでいたのかと言うと、ピアノのことだ。

 

このおっさんは、まだまだ腕は拙いが、一応ピアノ弾きである。

 

いや、"趣味でピアノを弾いている"というのが正しい表現だ。

 

しかし、そこはおっさんなりの矜持というか、ちっぽけなプライドがあって、自分のことをピアノ弾きだと思っている。

 

もちろん、ピアノに関する輝かしい経歴なんてひとつもない。

 

型通りに小学生のときにピアノを習ってみたが、まったくと言っていいほど練習しなかった。

 

先生も半ば諦めながら「あなたは何しにここに来てるの?」と嘆いていた。

 

そのまま途中で挫折し、月日は流れ、おっさんは大学生になった。

 

女の子にモテたいという、恥ずかしいくらい浅ましい理由で、軽音学サークルに入ろうと目論んだが、勧誘に来たのはヴィジュアル系な見た目のニイちゃん。

 

明らかに挙動不審な男に、V系ニイちゃんは言った。

 

「君、なんか楽器弾けるの?」

 

はい!ピアノを少々…

 

「あ、ふーん、…で、ギターは弾けないの?」

 

こうして、軟弱なハートは脆くも打ち砕かれ、そのあと勧誘にきた優しそうなお兄さんに誘われて、軟弱式…失礼、軟式野球サークルに入部したのであった。

 

しかし、モテたい欲を諦めきれず、楽器禁止のアパートに電子ピアノを置いて、独学で猛練習した。

 

よい子は絶対に真似しないこと。周りの部屋の人たちにこの場を借りて謝罪したい…。本当にごめんなさい。

 

基礎なんてないに等しいから、まあめちゃくちゃだった…。

 

でも、今まで生きてきてこんなに夢中になったことはなかった。

 

朝起きて、大学の講義をサボってピアノを弾いて、酒を飲んで寝て、また起きてピアノを弾いていた。

 

そしてサボりすぎて留年した。

 

客観的にみると、本当にただのバカだな…。

 

なんであんなに夢中になれたのか?

 

あの頃は無知すぎて、自分に音楽の才能があると、本気で思い込んでいた。

 

勘違いして、講義中に曲のコード進行をノートに書き写したりして、「俺、音楽できます!」アピールをしていた。

 

恥ずかしすぎて、深さ10mくらいの大穴を掘ってダイブしたい。

 

大学ではそのあと、仲間に恵まれてサークルではないけどバンドを組んだり、学祭で音楽喫茶に出演したりと、何とか巻き返して青春できた。

 

ただ、残念ながら全くモテなかった。

 

大学で得た学びは、音楽をするからモテるのではなく、モテる人が音楽をやるからカッコいいということだ。

 

これから大学に進学する諸氏は、卒業試験に出題されるので、是非メモっておいて欲しい。

 

卒業と就職を機に、多忙だったのもありピアノには一切触れなくなった。

 

あの頃使っていた、学生には贅沢すぎる電子ピアノも、引っ越しの時に手放した。

 

10年くらい経って、仕事に少し余裕ができたときに、ふと思った。

 

最近何にも夢中になってないな…。このまま人生終わっていくのかな…。

 

子供が少し大きくなったのを機に(言い訳に)、もしかしたら興味を持つかもしれないと、安物の電子ピアノを買った。

 

久しぶりで全然弾けないし、こんなおもちゃみたいなピアノだし、まあ自分は時々弾く程度に…なんて考えは甘かった。

 

そこからまた、寝ても醒めてもピアノのことを考える日々が始まった。

 

時間さえあれば、ヘッドホンをつけてピアノを弾いていた。

 

初めは特に気にしていなかった妻も、その狂気じみた姿に徐々にドン引きしていった。

 

今回はちゃんと先生にも習うことにした。(詳しい話はまたいつか書こう。)

 

そしてこれが(多分悪い方向で)人生の転機になった。

 

驚いたことに、今まで経験したことのない早さで、ピアノの腕が上達したのだ。

 

正直、人生も折り返し地点に入り、ここからは下り坂なのだと思っていたアラフォーおっさんにとって、まだ自分がなにかで成長するという事実が、たまらなく嬉しかった。

 

そして、こうなったらおっさんの狂気は留まるところを知らなかった。

 

そしておっさんは次第にあるものに心を奪われるようになった。

(※)写真はイメージです

アコースティックピアノが欲しい。

そしてアコースティックピアノを、誰にも気兼ねせず思いっきり弾ける環境が欲しい。

 

きっかけはピアノの先生の一言だった。

 

「ピアノって、タッチの仕方で音が変わるんです。そこを使い分けられると、もっといい演奏になります。電子ピアノだとちょっと難しいかもしれませんが…。」

 

想定外に上達したせいで、おっさんは大きな壁に突き当たっていた。

 

電子ピアノでの練習では、さらなる上達が難しくなってきたのだ。

 

それ以来、おっさんは寝ても醒めてもアコースティックピアノのことを考えるようになった。

 

アップライトピアノでいいから、自由に弾ける環境が欲しい。

 

でも今住んでいるマンションにピアノなんか置けないし、置いたとしても近隣への騒音や家族の目が気になって、ろくに弾けやしない。

 

レンタルスタジオも利用してみたが、予約もいるし、思い立ったときに弾きに行けるわけではない。

 

ああ、自分のピアノさえ手に入れば、もっとピアノが上手くなれるのに…。

ああ、自分のピアノさえ手に入れば、毎日が楽しくて幸せになれるのに…。

 

スマホの検索履歴はピアノで溢れていた。

 

アラフォーのおっさんが、まるで恋煩いのように、毎日スマホを見ながらため息をつくさまは、傍目からみたらなかなかグロテスクな光景ではないだろうか。

 

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ずいぶんと長いあいだ、考え事をしていたようだ。

ふと我に返ると、またしても自分の家とは違う方向に歩いていた。

 

今日はどうかしてるな…。

 

寒くなってきたし、一刻も早く家に帰りたいところだが、全く見覚えのない道だ。

家の近くであることは間違いないのだが…。

 

えっと、どっちに行けばいいんだろう?

 

あたりを見回すと少し先に古びた店の看板がある。

(※)写真はイメージです

レトロな喫茶店のような看板にこう書かれている。

 

「Piano Bar 音呼」

 

ピアノ…バー…?こんなところに?

 

早く帰らなければいけない。それはわかっていたけど、このタイミングでピアノバーとは…

 

何か運命めいたものを感じたのか、おっさんは吸い寄せられるように店の扉に手をかけていた。

 

※この物語は半分以上フィクションです。